春菜先輩のあーん

分かってるのに、身体が拒めないよ

九九に異論を唱えたい

九九というものがある。小学校の2年生か3年生で習い、算数が苦手な子がつまずくきっかけにもなるものだ。大きくなるとあまり考えなくてもこのくらいの計算ができるようになっているが、よく考えると九九はおかしい気がする。ちゃんと腰を据えて、じっくりと九九と向き合ってみましょう。

 

 

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九九

 

そもそも九九ってなんだ

まず、「九九」という呼び方が気に食わない。1×1から9×9まで、81種類もの計算を備えているのに、たった一種類、最後の9×9の呼び方をとって「九九」と呼んでいる。これは一種のえこひいきではないのか。ちゃんと公平で、中立で、平等な方法で選ばれているのか。

 

これがたとえば、1×1から9×9まで、81人(人?)がくじ引きをして、その結果9×9が当たりを引きました、とかだったらまだ許せるけれども、九九の主催者が9×9のことが好きだとか、9×9が賄賂を払って命名権を買っているとかだったら、途端に許せなくなる。

 

とくに賄賂の説に関してはかなり濃厚で、九九の中でも9×9はいちばんの高所得者だ。1位の9×9が81なのに、2位は9×8と8×9の72で、ここに9も差がついている。この時点で9も差がついているということは、本当は9×9は85くらいあって、主催者に賄賂を4払って81に調整された可能性が高くなってくる。国会議員の賄賂よりこっちを追及すべきだと思います。

 

 

 

謎の唱え方

九九を覚えるときに、たとえば1×1=1、1×2=2...というふうに覚えるのではなく、いんいちがいち、いんにがに...というふうに覚えるのがふつうだ。


ただ、よく考えてみると、この唱え方もかなり変なところが多い。だいたい、1×1をいきなり「いんいち」はないだろう。いちいちがいち、でも何も問題はないはずだ。そもそも「いん」って何?


2の段は2×2を「ににん」と呼ばせる変化球はあるものの、その他はおおむね素直である。本来こうであるべきだ。2の段のような大人になりたいですね。


3の段は3×6がかなり最悪である。「さぶろく」はないだろう。3を「さぶ」と読んでいいのは三郎だけではないのか。所詮3×6の計算ごときに、そんなレアケースを適用するのはおかしいじゃないか。


4〜6の段は本当に素直で従順で、九九界のペット、といった感じだ。唯一、6×9を「ろっく」と読ませる意外性があるが、ロックだぜ!って感じなのでOKです。


7の段も素直じゃないか、と思う人がいるかもしれないが、7を「しち」と読ませるのがめちゃくちゃに気持ち悪い。「なな」という言いやすい読み方があるのにもかかわらず、である。なないちがなな、ななにじゅうし、と言ったほうが良いだろう。7×7が「なななな」となってジョイマンみたいになるのが気に食わない人がいるかもしれないが、そこはジョイマンに解決してもらいます。


8の段は8×8の「はっぱ」が嫌な感じだ。「ぱ」というあたりに、面白くないのにがんばって個性を出そうとしてる感じが見てとれる。中学くらいのときクラスに一人はそういう人いますよね。


9の段は素直で従順に見えるが、前述の通り9×9の性格が悪すぎるのでプラマイゼロです。これを連帯責任といいます。

 

 

 

不可解な計算たち

九九の計算たちには、我々に嘘をついているものが時に存在する。どう考えても、そんな結果になるわけないだろう、というものがあるのだ。

 

たとえば9×6。九九界の大ボスの9と、中ボスくらいの立ち位置の6がタッグを組んで、54なんてしょぼい数字になるわけがない。61くらいある。

 

4×7も同じである。6以上にやっかいな敵である7と、中継ぎ的な役割を果たす4のコンビだ。それなのに、結果は28。何をどう考えてもおかしいじゃないか。イメージとしては40を超えるべきであるのに。

 

3×9もかなり最悪だ。せっかく大ボスの9を使っておいて、27では情けない。3にはもっと喝を入れる必要がある。明日、滝に打たれに行ってくるそうです。

 

 

 

 

忌まわしき九九カードの思い出

これは完全に思い出話なのだが、小学生のころに九九カードというのがあり、1の段から9の段までひとつずつ、言えるようになったらシールを貼ってもらう、というものだった。

 

ぼくはわりあい算数は得意な方で、九九もすぐに理解することはできたのだが、いかんせん滑舌が悪く、7の段の「しち」がどうしても言えない。7×7なんかは「ひちひち」と言ってしまう。それで九九カードの7の段だけシールを貼ってもらえず、先生に嫌な目で見られてすごく落ち込んだ。未だに7の段と山崎先生には恨みを持っています。

 

 

そんな欠点だらけの九九が、この国の教育からなくなることを祈って、この記事を終わりにしたいと思います。