春菜先輩のあーん

分かってるのに、身体が拒めないよ

徹夜の日

寝たいのに寝れないということがある。

思えば前の日、なぜか10時に起きたのに二度寝をして15時まで寝てしまい、これは一日無駄にしたなあ、と。無駄にしすぎである。

明日もあるんだからきょうは早く寝ようなんて思い、1時に布団にはいる。寝れない。

30分くらい目をつむって、ああ寝れないなあなんて考える。そういうことを考えるから寝れないんだろうなあ。

こういうのは作業をしていれば勝手にねむくなるでしょうと思い、起きあがって大学の課題をはじめた。

よく、朝早起きして作業をすると集中できるなんて人がいる。朝は静かだし、なんとなく気分がさわやかだからだろう。

夜寝れないのに作業をしてもたいして集中できない。なんとなく眠気というか、寝たほうがいいんだろうという感触はあるのだけれど、30分かけて寝れなかったことを思い出すと、もう一度布団にはいるのは、なんとなくいやだ。そんな感覚と、特段見たくもない動画をダラダラ流すくせとが相まって、作業というのは進まないものである。

 

そんなことをしていると、もう3時半だ。いまから寝ると絶対に起きられない。自分はほかのひとより睡眠が下手なのは、もうずいぶんまえからわかっている。

物事には誰しも向き不向きはあると気づいたのはいつからだろうか。保育園の運動会のリレーで、先頭でバトンをもらって、最後尾でバトンをわたしたことがある。あるいは、小学校にはいりたてのころに、リボン結びがいつまでもできなくてバカにされたこともある。

睡眠と、リレーと、リボン結びが苦手な人生だ。

とにかく、きょうは徹夜である。こういうことを、月に2回はやっている。ふつうエネジードリンクというのは元気を出すときに飲むものなのだろうが、とりあえず2限の講義に出ないといけないので、それまで起きるために飲む。

缶にかかれたガイコツの絵が、こういうのを飲みつづけると将来こうなるよという暗示にも見え、生産者がそんな暗示するわけないか。

 

徹夜というのはふしぎなものである。なんだかあっという間に時間が進むのに、その時間は昼間より価値が低く感じる。価値が低いどころじゃなく、この時間はいらない。さっさと朝になって、2限がはじまってほしい。寝たいのだ。

徹夜というのはふしぎなものである。ふだんやらないことをやってみたりする。ふだん日記なんて書かないのに、こんなのを書きはじめてしまったせいで、いっこうに課題がすすんでいない。

 

家事もやらないといけない。シンクには、洗ってないフライパンと、洗うのがめんどうなタッパーと、ピンクの汚れが入っている。ぜんぶ洗わないとなあ。こういうとき、こどもがいたら、お金の大切さを学ばせる、というので30円払ってやらせるのだろうか。業者にたのめば3000円はしそうで、ならこどもにも3000円払いたい。

冷凍ごはんも切らしている。米を炊くのなんて、大した手間じゃないんだけれど、なぜか面倒なのである。米を炊飯器にいれてスイッチを押して、炊けたあとにタッパーに入れて冷凍しないといけない。時間をおいて2回の工程がある。いっぺんに両方やってしまいたい。

 

4時半。おなかがすいてきた。ふだん朝食は食べないから、午前中にものを食べるということがない。空腹だが、なんとなくがまんできる程度の空腹、でも、お菓子とかでは解決できない空腹である。こういうのは自分に従おうと、カップヌードルにお湯を入れる。

黄色い卵が、徹夜にはまぶしすぎる。

 

外はまだ暗い。夏のころならそろそろ明るくなるのになあ、なんて。でも、きっといつかは明るくなるはずだ。

寝ていなくても、朝は来る。新しい日としてではなく、夜の延長線上の朝。小学生の夏休みの朝、ハンコ目的に公園に行ったぶりに、きょうはラジオ体操でもしようかな。